「セルゲイ・ブブカ特別講演in TOKYO」レポート
2019 10/08

鳥人ブブカの金言「僕が持っているものは全て努力によって手に入れた」

~オープンハウス・立教大学共催 セルゲイ・ブブカ 特別講演「2020へ スポーツの夢とレガシー」開催リポート~
2019年9月17日(火)、立教大学池袋キャンパス(東京都豊島区)にて、男子棒高跳びの前世界記録保持者であるセルゲイ・ブブカ氏が特別講演を行いました。講演では、ブブカ氏によるトークショーに続き、陸上の100メートルや走り幅跳びで東京パラリンピック出場を目指す小須田 潤太選手(オープンハウス)との対談も実施。会場には、立教大学の学生やスポーツに関心の高い方などが約300名集まり、ソウルオリンピック金メダル・世界陸上6連覇・世界記録35回更新など、数々の偉業を成し遂げた”伝説の鳥人”のメッセージに耳を傾けました。

苦難の連続だったオリンピック 金メダルは人生の勲章

盛大な拍手の中登壇したブブカ氏は、「このような機会を与えていただきありがとうございます。皆さん、今日はリラックスして楽しみましょう」と笑顔で挨拶。
さらに「日本には素晴らしい思い出がたくさんあります。現役時代には、東京、大阪、福岡でそれぞれ世界記録も出しました。私が大好きな国の一つです」と親日ぶりを披露すると、陸上界のスーパースターを迎えて緊張感が漂っていた会場は一転、和やかな空気に包まれました。
トークショーは「圧倒的な強さを誇った現役時代を振り返り、今どのように感じているか」というテーマからスタート。
ブブカ氏は、自身の世界記録を35回も更新できた秘訣について、「常に『今よりうまくなりたい』と思い続けていました。いつも高いモチベーションで目標に向かい、達成したら新たな目標を目指す。
決して諦めず、夢見ることをやめないことが大切です」と述べ、「これはスポーツに限らず、仕事や人生の他のことにおいても同じだと思います。
皆さんもぜひ、自分の目標に向かって挑戦し続けてください」と、夢を持つすべての人にエールを送りました。
続いて、開催まであと1年を切った2020年の東京オリンピック・パラリンピックに話題が及ぶと、現在ウクライナのオリンピック委員会会長やIOCの理事も務めるブブカ氏は「東京の人々は強い心を持っていますし、オリンピックの精神を支持してくださっています。ですから、東京オリンピック・パラリンピックが大成功をおさめること、そして皆さんが素晴らしい時間を過ごされることを確信しています」と期待を寄せました。
伝説の鳥人と呼ばれ、ありとあらゆるタイトルを手にしたブブカ氏ですが、一方でオリンピックとの相性が悪かったことも知られています。
絶対王者として4度のオリンピック出場を果たしながら、金メダルを獲得したのは1回のみ。
「オリンピックだけは他の大会と全く違う。毎回大きなストレスや重圧を感じていた」といいます。
ここからブブカ氏は、困難の連続だった自身のオリンピックの歴史について話し始めました。
初めてオリンピックに出場するチャンスを得たのは、1984年のロサンゼルス大会。ところが、このときはソ連政府がボイコットを決定したため、残念ながら実際に出場することはできませんでした。前年の世界陸上ヘルシンキ大会で優勝し、19歳にして初めて世界一の座を手にしていたブブカ氏にとって、本来であればオリンピック王者になれる最高のチャンス。しかし、政府の判断のためにそのチャンスを失うことになったのです。当時についてブブカ氏は、「私はまだ20歳で若かったこともあり、そのときは『仕方がない』と受け入れていました。
でも、年月を経るごとに、オリンピック王者になれたかもしれない貴重な機会を失ったことの重みが増してきました。
今思うと、これは本当に心が痛む出来事でした」と振り返ります。そして「私自身は幸運にもその後の大会に出場することができましたが、私の友人の多くは、二度とオリンピックに出る夢を叶えることはできませんでした。ボイコットというのは最悪の判断だったと思います」と沈痛な面持ちで続けました。
4年後の1988年ソウル大会で、ブブカ氏はついにオリンピック出場を果たします。そして、夢を奪われた友人たちの思いを背負って臨んだこの大会で、念願の金メダルを獲得したのです。
しかし、その道のりは決して楽なものではありませんでした。自身も「初めてのオリンピックで非常に大きなプレッシャーを感じていました。試合そのものもとても困難な内容だった」と振り返るように、決勝で1回目と2回目の跳躍を続けて失敗。あとがない3回目でようやく成功し、最後の最後で優勝を決めたのです。
「最後の跳躍で、固くなっていた自分の気持ちをやっと開放することができ、本来の強さを取り戻せた」というブブカ氏は、「そのことを自分でも非常に誇りに思っています」と述懐しました。
続く1992年バルセロナ大会には、「オリンピックで世界記録を樹立する」という夢を持って臨んだものの、結果は決勝記録なし。この年、優勝のタイトルを取れなかった唯一の大会となりました。
1996年アトランタ大会は、それまで最高のシーズンを送っていたにも関わらず、本番3カ月前にアキレス腱を断裂し、本来の力を発揮できないまま予選で棄権。
その後、アキレス腱の手術を受けて臨んだ2000年シドニー大会も記録なしで予選落ちとなり、この大会を最後に引退したのです。
こうした苦難の歴史を振り返り、「これだけの回数オリンピックに出ているのですが、一度しか金メダルを獲得できませんでした。けれども、一度でもオリンピックチャンピオンになれたことは非常に幸運なことだと思っていますし、私にとってソウルの金メダルはかけがえのない人生の勲章です」とオリンピックへの強い思いを語ったブブカ氏。
「スポーツを通じて、世界中の人々が、住む場所や話す言葉、宗教などに関わらず、共に平和を築くことができる。
これこそがオリンピック精神であり、オリンピックはそれを世界に示すことができる非常に貴重な機会です」とその意義を強調し、「日本の皆さんもぜひ、東京オリンピック・パラリンピックを通じて、世界中の人々に、皆で共に平和を築くことができるのだということを示してください」と呼び掛けました。

生まれながらの王者はいない 必要なのは「夢」と「努力」

講演の後半は、陸上の100メートルや走り幅跳びで東京パラリンピック出場を目指す小須田 潤太選手(オープンハウス)が登場し、小須田選手の質問にブブカ氏が答える形で対談が行われました。
小須田選手から「東京パラリンピックまで残り1年となった今、ライバル選手たちとの決定的な違いを生むにはどうしたらよいか?」と助言を求められたブブカ氏は、「重要なのは『努力』と『技術』。多くのライバルたちの情報を取り入れ、いいものは全て自分のものにすることが大事です。そして、昨日より今日、今日より明日はさらによくなると自信を持つこと」と進言。さらに「王者になった人たちは皆、生まれながらに王者だったわけではありません。夢を持って努力し続けることで、王者になったのです」と続けると、「小須田選手は『夢』と『努力』に加えてもう一つ、一番重要なものを持っています。それは『ホーム(自国)で試合ができる』ということ。パラリンピックでは日本中があなたを応援してくれるでしょう。これは他国の選手にはない大きな力となります。ぜひ頑張ってください」と激励しました。
また、「試合前にイメージトレーニングをすることで、自分の頭に正しい考え方や動きをプログラミングしていた」「棒高跳びだけでなく、短距離走・幅跳び・3段跳びや、重量挙げなどのコーチらとも議論し、さまざまな情報を得て学び続けていた」といった具体的なアドバイスも送り、小須田選手は「ぜひ明日からのトレーニングに取り入れたい」と熱心に聞いていました。
最後に「来年の東京オリンピック・パラリンピックがすばらしいイベントになることを確信しています。皆さんもぜひ、観客やさまざまな形で関わっていただきたいと思います。一緒にオリンピック・パラリンピックを楽しみましょう!」と呼び掛け、ブブカ氏は講演を締めくくりました。